『百年小説』を読み切るのに何日かかるか/幸田露伴「一口剣」

 『百年小説』(ポプラ社)という本がある。日本の作家五十一人の名作短編を一冊にまとめたアンソロジーだ。

www.poplar.co.jp

 (収録作は紀伊國屋書店の商品ページなどで確認できる)

 名作小説が五十一篇。本を積みがちな人間でも、一日一篇読めば五十一日で読み終わる計算である。気分の問題もあるので現実的には毎日一篇読むのは難しいだろうが、逆に興が乗って一日で二、三篇読む日もあるだろう。均せば結局は一日一篇ぐらいのペースになるのではないか。五十一日で文豪に一通り触れることができるわけだ。

 そう考えて『百年小説』を買ったのが去年の十一月二十三日で、この文章を書いている二〇二四年二月二十三日から数えて九十二日前のことである。まだ読み終えていない。

 頭から順番に、順調に読んでいたはずなのだが、樋口一葉の「わかれ道」に差しかかって「なんとなく、今はそういう気分じゃないな」と中断してそれきりになっている。このままでは、それきりになってしまいかねない。短編一つぐらい読む気になればいつでも読める。だからこそいつまで経っても読まない。

 そこで私はこのブログに、一日一篇読めば五十一日で読み終わるはずの『百年小説』を読み始めてからすでに九十二日が経過している事実を記し、果たしてこの本を読み切るまでに何日かかるのか公の場ではっきりさせたいと思う。

 しかし「一日一篇読んで感想を書く」といった勤めを自らに課す気はない。課してもどうせ守れないし、毎日感想が途切れて「あの人、今日はさぼったな」などと思われるのは癪だからである。今回の読書遅滞の公開をもって私が「わかれ道」を読む気になるよう、ただ祈念するものである。

 これだけでは何なので、読んだ短編の感想でも記しておこう。

 『百年小説』を順番に読んできた中で、私がある意味もっとも強い感銘を受けたのは幸田露伴の「一口剣」(いっこうけん)であった。一人の刀鍛冶の男の物語なのだが、私が受けた感銘は幸田露伴=よくわからないけど難しそうというイメージから予想されるような「考えさせられる」といった類のものではなかった。例えるならば、ある読み切り漫画が出版社のプラットフォームで公開されると同時にX(旧Twitter)で評判になり、一時的に作品名がトレンド入りするというような、「一口剣」の面白さはそういう類の面白さだった。X上の人々がしばらくの間「一口剣」の最後の文句をもじって戯れる姿さえ目に浮かぶようだった。要するにエンタメ、大衆娯楽の面白さなのであった。

 幸田露伴がこんなに面白いとは知らなかった。擬古文(近代文語文)の小説で一見とっつきづらいのだが、興味を持たれた方がいたら「一口剣」を諦めずに最後まで読んでみていただきたい。