七月十三日に向けて庄野潤三を読みたい

 今月十九日の文学フリマもまだなのに七月の話かいな、というところだが七月十三日に向けて庄野潤三を読みたいのである。

 神奈川近代文学館で六月八日から「没後15年 庄野潤三展――生きていることは、やっぱり懐しいことだな!」が開催される。(リアルタイムで接してきたわけではないので結構昔の方という印象だった、没後まだ十五年しか経っていないことにびっくり。長生きされたのだ)

 そして七月十三日には、庄野潤三のご長女である今村夏子さんと、地味な名著(もちろん庄野潤三作品も含まれている)をこつこつ出版し続ける夏葉社の島田潤一郎氏とのトークイベントが行われる。

 こちらに申し込んだので、それまでに庄野潤三をもう少し読んでおきたいのだった。

 庄野潤三の、多分前期〜中期ということになるのかしら、家族小説を読み慣れた人だと庄野潤三のご長女といえば小説の中の「○子」(私はその頃の小説はほとんど読んでいないので具体的な名前はわからないのだけど)がこの夏子さんなんだなあという感慨を抱くのだろうと思うが、私がもっぱら親しんでいるのは後期の日記とも随筆ともつかぬ家族小説、家族や知人が実名で登場する方の作品だから、あの夏子さんにお会いできるのだなあという感慨が強い。「ハイケイ 足柄山からこんにちは。」の夏子さん。

 コロナ禍の、何もかも殺伐として辛い折に庄野潤三の作品には本当に救われた。当時は老夫婦の平穏な日常を淡々と書いた文章とのみ思っていたが、生きていて楽しいこと嬉しいことばかりのはずがない。作家は強靭な意志をもって、自分の書きたいことだけを書き続けたのだとだんだんわかってきた。読者がその世界に安心して滞在していられるのは庄野潤三の凄みのゆえである。だがそんなことが全然わからなくても、庄野潤三の家族小説はいい。

 庄野潤三の著作はぽつぽつ集めていくつもりであったけれども、これを機に一気に仕入れてしまおうかしらなどと考えるのだった。