アマチュア、日記の本を作る(その2)

 まず初めにお知らせ。
 五月十九日の文学フリマ東京38で出す予定の日記本は、本体・カバーともに入稿を済ませて自宅に届くのを待つばかりとなった。まだカバー掛けなど作業は残っているものの、とりあえず出すことは出せるはずである。
 日記本の詳細は、四月十九日の Web カタログ公開に合わせて当ブログで記事を公開したいと思っている。
 よろしくお願いします。

*****

 前回:
shindai-toh.hatenablog.jp

2. 構成の決定

 本文レイアウトは仮決めした。これで中身の枠組みはいいとして、本全体の枠組みも考えなければいけない。
 まえがきとあとがきは入れようと思っていた。入れたいからではない。どちらかと言えば入れずに済むなら入れたくなかった。書かなければならない文章の量が増えるからである。だが、今回の本のほとんどの読者(読者がいるとして)にとって、日記の筆者つまり私はどこの馬の骨とも知れぬ謎の無名人である。筆者の人となりを伝える意味でも、導入そして締めの意味でも、まえがきやあとがきはあった方がいいだろうと判断した。また日記本体が内向きの、自分さえわかればいいという内容だから、外向きの文章を設けるのがこんな馬の骨の本を手に取ってくれる読者に対する礼儀かとも思った。
 さて、「まえがき、本文、あとがき」で構成は決まりかと思いきや、実際に作る段になると本というものは案外様々な部分でできていることに気づかされる。
 今回は次のような構成で作ることにした。

  • 本扉
  • まえがき
  • 中扉
  • 本文(日記三ヶ月分)
  • あとがき
  • 参考文献一覧
  • 奥付

 以下、説明が必要そうな項目について記す。

本扉

 商業出版されている文芸書や文庫(に限らないが)を頭から開いてみると、まず初めに書名、著者名、出版社名(レーベル名)等が配置された装飾的な見た目のページが目に入る。これが「本扉」である。単行本の場合、本文用紙とは異なる紙が使われていることもある。
 なぜ、どういう由来でこういうページが存在するのかは私に聞かないでほしい。とりあえず現代の商業出版の場合、本扉があるのが当たり前のようである。あった方が「本っぽい」ので、当然今回の本にも入れる。

中扉

 先ほどの文芸書やら文庫やらを引き続きめくっていくと、だいたいの場合、序文なり目次なりが続いた後で書名のみが記されたページが現れる。これが「中扉」である。
 このページの存在理由も私には知る由もない(こうして考えてみると、日頃親しんでいる書籍という媒体について全然知らないものだ)。多分「ここから本編が始まりますよ」という区切りの意味だろう。これもあった方が恰好がいいので入れる。
 なお、目次は設けないことにした。正直作るのが面倒だからというのもあるが、日記本体を章分けしないこともあり目次は不要だと判断した。なんとなく、今回の本だと目次がない方が全体のまとまりがいいような気もした。

参考文献一覧

 日記を書くにあたって参考にした文献、ではない。日記の文中では自分用のメモとして多くの書籍から文章を引いている。引用元は明示するのが法律上の決まりであるし著者や版元に対する礼儀でもある。そのため巻末に参考文献のページを設ける。
 ただし今回は、法律的・道義的には載せる必要のない本も私の趣味でリストに載せた。「引用はしていないが日記中で私が読んだ本」である。これは完全に自己満足である。私はリストを眺めたり作ったりするのが好きなのである。しかし残念ながら読了本リストではない。私はつまみ食い、寄り道みたいな読書ばかりしている。
 ちょっと話が前後するけれども、実際の本では参考文献一覧が五ページに渡ることとなった。

*****

 長くなったから、ここで一旦区切るとしよう。
 次回はいよいよ InDesign で実際にレイアウトを行っていく。四月十九日までに次の記事を公開したいと思ってはいる。