冊子の構想

 先般の文学フリマ東京では、私が以前出した読書日記本について触れてしてくださった方が複数いた。

 私としては、あの本はもう過去のことであり終わった話であり、どちらかというと恥ずかしい思い出と感じていたのだが、褒めてもらえると「そんなに悪くなかったかも?」という気がしだした。(現金である。しかし人生は短いのだから、自惚れられる時には自惚れておいた方がよい)

 それでまた日記を書いてみようかと思った。しかし今や日記を書く習慣はほとんど失われていた。本にしようという強いモチベーションでもない限り日記なんかつける気がしないのであった。

 では本を作るつもりになればいいのであるが、以前のようなちゃんとした本を作るのは時間もお金もかかる。力を入れて作ったからにはしっかり宣伝して売りたくなってしまう。それもやりがいがあると言えばあるのだが疲れる。

 私は今回の文学フリマのためにわざわざレーザープリンタを買っていた。フリーペーパーを作るためではない。原稿を紙で出力して校正作業を行うためである。結論だけ言うと買って大正解だった。(暇だったのでフリーペーパーも作った)

 このプリンタを使って、コピー本を製作したらいいんじゃないかと思った。月刊は無理でも隔月刊か季刊ぐらいの具合で、日記やよしなしごとを薄い冊子にして、送料込み三百円ぐらいで通販したらどうだろう。

 そんなものお金を払って買う人がいるのかというのは妥当な問いである。せめてネットプリントではどうかとか、そもそもブログでいいんじゃないかとか……。しかし紙の本という形でないとどうしても自分がやる気になれない。私としても別に売れるとは信じていない。売れなくても金銭的にはほとんど損をしないわけだ。あとは、やるかどうか、売れない本を実際に作るかどうかだけである。

 まあそんなような空想を弄んで最近は日々を過ごしている。

無愛想であってはいけないのか?(思考遊びにつき結論なし)

 先般の文学フリマ東京42において、私は自身のスタンスおよび性格から、接客行為は必要最低限に留めて基本的にはずっと座って本を読んでいた。

 そのような出店者を「無愛想である」と感じる来場者もいるようだ。私には私なりの考えがあったとはいえ、「うーむ、無愛想に見えるなら、改めなければいけないかな」とちらりと反省した。

 しかし、ふと別の考えが湧いた。
 文学フリマにおいて、そもそも出店者は無愛想であってはいけないのだろうか?

 ちょうど今読み進めている、というかまさに文学フリマで読んでいた『誤謬論入門』という本に、次の一節があった。

“べきである”という規範的な結論は、“べきである”という前提からしか導き出せない。

 「無愛想」な出店者を好ましく思わない人の感情をあえて主張として書き出してみると(※具体的にそのような主張をしている人がいるかは知らない)、「文学フリマの出店者は、無愛想であるべきではない」すなわち「文学フリマの出店者は、愛想よくしているべきである」ということになる。

 これは『誤謬論入門』の言葉を借りれば、「規範的な結論」になると思われる。そして『誤謬論入門』の考え方を使うと、この結論を妥当なものとするには、適切な「“べきである”という前提」が必要である。

 「文学フリマの出店者は、愛想よくしているべきである」という結論を支えるに足る前提とはどのようなものであるか? そもそも、そのような前提が存在するか?(これは反語ではなく純粋な疑問である)

 前提として考えられるのは「店が客に丁寧な態度で接するのは当たり前じゃないか(接するべきである)」というものだろうか。「買ってほしいのなら愛想よくするべきだ」という方向もあるかもしれない。しかしこれは前提かしら? これ自体が結論かしら? これらを前提と言えるかどうか、前提だとして妥当かどうか考えるには時間がないので、このあたりで切り上げることにする。

 ひとまず私が思ったのは、「そういう態度は無愛想だ」という感想ないし主張ないし指摘は正論のように見えるが、また状況によっては正論なのだが、真に妥当かどうか考えてみる余地はあるということである。

 なお、私がここで問題にしているのは個人の好悪ではない。しかし「理屈なんかどうでもいいので、単に私は愛想のいい人から買いたいのだ」という感想ももっともではあろう。

文学フリマ東京42反省(余談)

  • 立ち止まったお客さんに声をかけるのかかけないのか中途半端だった
    • 私は自ブースでずっと『誤謬論入門』という本を読んでいたのだが、誰かが興味を示してくれるとたまに小さい声で「こんにちは……」「(試し読み)どうぞ……」と呟き、生きている人を不気味がらせてしまったかもしれない。
    • 私の本に興味を示してくれているのにこっちが読書しているのは失礼かなと思って、お客さんが見本誌を読んでいる間は『誤謬論入門』をしまってぼんやりしたりしてみたが、相手は「しゃべるでもないしこの人はなんなんだろう……」と思っていたかもしれない。
      • 私も「どうしたらいいのかな」と思っていた。
    • いっそ『誤謬論入門』を読み続けて、質問や会話やお買い上げ等のアクションがあった時のみ行動した方がよかったのではないか。
  • 無理にでもテンションを上げるべきだったかもしれない
    • 慢性的な寝不足の上に当日も普通に寝不足で、元気がなかった。頭が半分ぐらいしか働いておらず、ふわふわしていた。
    • カフェイン飲料ないしエスタロンモカ等を利用して、やや健康を犠牲にしつつ無理やりにでもテンションを上げ、交流に努めた方がよかったかもしれない。
      • しかしながら、気分の高揚による不適切な言動の可能性も高まることを考えると、一概にカフェインを投入すればよかったとも言えない。
  • 『誤謬論入門』の他にもう一冊持っていってもよかったかもしれない
    • 丁寧に議論の筋を追いながら読まなければいけない内容だったので、読んでいると眠くなることがあった。
      • その代わり文学フリマ中に100ページ近く読み進められたので、そこはよかった。
    • 気分転換に軽く読めるものがもう一冊あってもよかった。
  • 次回(があるとして)はいっそ「話しかけないブース」を前面に押し出したらいいのではないか
    • それで滑ったらかなり厳しい絵面になると思われるが、その点についてはどうお考えなのか。
      • 私がただ読書し続けるブースは、私の積読の減少に繋がり、それはそれでよい面があるとも考えられる。
    • Amazonで腐るほど売っている携帯用ブックライトを『八つ墓村』の多治見要蔵のように頭に巻きつけてブースで読書すると、「私は他人とのコミュニケーションに困難を抱えている」というメッセージとともに「私は読書が好きです!」というポジティブなインパクトを与えることができて一石二鳥なのではないか。
      • 規約によりそもそもコスプレは禁止であるし、販売物が横溝正史と何ら関係がないのに横溝作品を彷彿とさせる格好をすることは出店者として誠実な態度とは言いがたいであろう。

文学フリマ東京42御礼&今後について

文学フリマ東京42ありがとうございました

 本日、文学フリマ東京42でした。
 本をお買い上げいただいた方、当ブースにお立ち寄りいただいた方、ありがとうございました!
 おかげさまで『奇蹟と常識 正宗白鳥随想集』は持ち込んだ半分ほどが売れ、『新潮社版「正宗白鳥全集」総索引』は完売となりました。作った本が旅立っていくのは嬉しいことですね。
 以前の文学フリマで出した日記本や、当ブログについてお話ししてくださった方もいて、想像もしていなかったので嬉しいびっくり……。
 突貫で作って机に置いただけのフリーペーパーは十数枚ほど(多分)もらわれていき、まあ読まずにポイでもいいんですけども、お暇潰しぐらいにはなっていると幸いです。

通販は未定です

 というわけで『随想集』はだいたい狙い通り在庫が残ったのですが、こちらを今後どうするかは未定です。何らかの手段で一人でも多くの方にお届けしたいという気持ちはあるのですが、具体的には何も決まっておりません。通販等をお待ちいただいている方がいらっしゃったら申し訳ありません。

総索引は増版するかも

 『総索引』はさすがに5冊も売れないだろうと考えて4冊だけ刷ったら、なんと完売しました。ありがたや。本当にただの索引ですがよろしくお願いします。
 自分で言うのも何ですが、こちらの本はわずかながら資料的価値があると思いますので、増刷するかもしれません。(生々しい話になりますけれども、ページ数が少ない分、1冊あたりの印刷費=私の負担が少なくて済むという事情もあります)

今後について

 現時点では、寝台燈の今後の活動予定は未定です。
 私は関東圏の住人なので、もし次に文学フリマに参加するとしたら11月の「東京43」が一番の選択肢になります。が、秋ごろの世界および身辺の情勢がどうなっているかなーというのを抜きにしても(本当は抜きにできませんが)、文学フリマ自体がやはり自分には合わないイベントかもしれないと感じるところがあり、どうするか決めかねています。
 私は話すのが苦手で、即売会でも積極的な接客はできず、するつもりもありません。これは私がもともとコミックマーケット=コミケ的な同人誌文化(売る側も買う側も対等である、買う側はサッと来てパッと買ってスッと去る人が多い)から来た人間だからでもあります。
 ただ、文学フリマは全体の雰囲気として出店者と来場者が積極的に交流するイベントなのですよね。そして、「そらコミケにはコミケの文化があるでしょうけども、文学フリマはコミケじゃないのよ」と言われたらおっしゃる通りで……。
 文学フリマ全体に「出店者はどんどん接客するもの」という雰囲気があり、お客さんもそれを期待して来ている方が多い、ということだと、文学フリマがそもそも自分の肌には合わないのかなという思いが強くなってきました。
 かといって、私の作りたい本がコミケ向きであるとも思えず、ZINEフェスも違いそうだし、他に適当な場が思い当たらないのですが。

 そのような感じで、予定は未定となっております。何か決まりましたら、Xなりこちらのブログなりでお知らせいたします。

(あらためてお知らせ)文学フリマ東京42に出店します

 その日が迫ってきましたのであらためて……。

 5月4日(月祝)開催の文学フリマ東京42に「寝台燈」として出店します。

 販売するのは『奇蹟と常識 正宗白鳥随想集』『新潮社版「正宗白鳥全集」総索引』の2冊です。

 メインが随想集という形になっておりますが、ブースの配置は「評論・研究」ジャンル、場所が南1・2ホール(1階)のR-45なのでご注意ください。

 Xアカウントをお持ちの方は、 https://x.com/nmkmary でも最新情報をご覧いただけます。(こちらの方がブログより情報が早いです)

お品書きとWebカタログ

お品書き

c.bunfree.net

サンプル

『奇蹟と常識 正宗白鳥随想集』表紙
『奇蹟と常識 正宗白鳥随想集』本文
本文サンプル(実物は印字がもう少し濃いめです)

ブースの場所

ブースは「南1・2ホール R-45」です

 当日はうっかり作った名刺も持っていく予定です。よろしくお願いいたします。

文学フリマと何の関係もない記

 これを書いているのは四月二十日の夜中です。文学フリマ東京まで、あと二週間となったそうです。

 そして日付の上では、今日は四月二十一日です。何まであと一週間でしょうか。

 そう、「ディアブロIV 憎悪の帝王」配信まであと一週間ですね。

 私はこのゲームを八百時間ほど遊んでいる程度には好きなので、当然このDLCもアルティメットエディションを予約済みですし、一度始めたら最後、五〜六時間ほどぶっ続けでプレイしてしまいます。寝不足にもなります。

 ですから、文学フリマが終わるまでは触らないようにしようと思っていたのですが、こうして過去形で書いているのを見てもらってもわかる通り、やはり我慢できそうにないので一週間後には憎悪の帝王を遊び倒していると思います。せめて文学フリマの前夜には触らないようにする予定です。

 正宗白鳥か、ディアブロ4に興味のある方は五月四日に東京ビッグサイトの「南1・2ホール R-45」までお越しいただければ、何かしら話題があるでしょう。(ちなみに私の好きなクラスはネクロマンサーです)

概要

ディアブロ4の概要

 モンスターの大群を倒して強い装備を手に入れてもっと強いモンスターの大群を倒してもっと強い装備を手に入れてもっともっと強いモンスターの大群を倒し続けるゲームです。(昨今流行りのローグライクではありません。むしろディアブロ系の古典的ハクスラをローグライクにうまく落とし込んで大ヒットしたのがヴァンサバなのではないかとかうんぬんかんぬん)

知人が全くいなくても文学フリマに参加してよい

 前にも書いたが、私には文学フリマ界隈(とりあえず今回はひっくるめて界隈と呼ばせてもらう)に知人はいない。以前初出店した際にやりとりした方、私の本を買ってくださった方はいるものの、さすがにそれだけで知人ということにはならないだろう。オフラインに限らずオンライン上にも文学フリマ友達はいない。

 したがって、文学フリマで私に会いに来る人はいないし、私の方も会いに行く相手は思いつかない。一人でブースに座って、ぼんやりしている予定である。暇つぶし用に何の本を持っていくか考えねばならない。

 私は愛嬌があるとは口が裂けても言えないが、機嫌が悪い時でない限り無愛想ではない。話しかけられれば普通に応答するつもりである。しかし、自分から仲間を作りに行こうという意志は特にない。一匹狼を気取りたいのではなく、自分自身の社交性というか人間関係を構築および維持する能力に見切りをつけているためである。私は孤独に死ぬであろう。しかしひとまず文学フリマ東京の日には生存している予定である。

 私の生存についてはさておき、完全なる一人参加であっても当然ながら規約違反ではないので(無論、規約違反となりうる行為を他にしていれば話は違うが)、文学フリマに出店してよい。冗談抜きで本当に仲間がいなくても、文学フリマには参加してよいのである。「一人参加でもこんな素晴らしいことがありました!」ということを言いたいのではなく、単に事実として、そうなのである。

 「文学フリマ、出てみたいけど、一人だしなあ」と悩んでいる人のために書いておいた。だが、誰も会いに来ず誰にも会いに行く予定がないことに多大な苦痛を感じる人は、もちろんやめておいた方がよい。

私の出店について(宣伝)