読める日記がない

 さて文学フリマで日記の本を売るからには現代の日記本を読んでみねばなるまい。そう思ったのは日記本を作ろうと志した去年の十一月頃だったが、結局今に至るまで一冊も読んでいない。

 その間に私が手に取ったのは正岡子規の日記『仰臥漫録』や岸田劉生の『劉生日記』および『劉生絵日記』、少し毛色の違うところでは高祖保の『庭柯のうぐひす』という美しい本に収録された「軽井沢より」という日記作品も読んだ。高祖保はビルマにて戦没した詩人。『庭柯のうぐひす』は下北沢にある「日記屋 月日」というその名の通りの日記専門店で買ったので、由緒正しい日記本(?)である。

 違う見方をすれば日記専門店まで行ったにも関わらず、現代の人の日記はついに一冊も買わなかった。私は現代の日記を読めないのであった。それはこういうわけである……。と書こうとしたのだが、いい時間になってしまったので今夜は寝ようと思う。