作って満足、日記本

 眠いのでブログを書いている場合ではない。

 過去の経験から、私はイベントで同人誌(でも ZINE でもリトルプレスでも呼び名はなんでもいいのだが)を売る際には宣伝が極めて重要であることを理解している。売るためには、作り手は「私の制作物は面白い!」「私の制作物はあなたに素晴らしい体験を提供する!」「あなたはこれを買うべきである!」という顔をしていなければならない。この通りのことを言ったり書いたりするのでなくても、宣伝の全体的な調子からこれらポジティブなメッセージを発信しなければならない。

 と前置きすればこの先言いたいことはだいたいわかると思うのでもう無駄な前置きはなしで進めるけれども、私は今回の文学フリマの出品物、つまり私の日記本について、そのようなポジティブなメッセージを発することに困難を覚えている。あら、なんだってこんな言い方しかできないのかしら? 要するに私は自分の日記本が面白いとは言いがたいことを、面白いですと宣伝してしまったら嘘になることを、(今度こそ)要するに、他人にとってはつまらないことをわかっているのである。

 ああ、言ってしまった。でもこれですっきりした。だいたい他人の日記なんて面白いわけがないではないか?(もちろんその他人が正岡子規岸田劉生武田百合子でなければということだ)誰が読んでも面白い日記というのは、恐らくエッセイに近いので、私が読みたい日記とは違うのだと思う。他人に読ませることを前提にした日記なんて日記じゃない、とは言わないが(荒川洋治はそういう意味のことを書いていたように記憶するが面白い日記本を出すような人はみんな荒川洋治を読んで何かしら考えていると思うけれども実際どうなのだろう)、私が読みたいのは「読み物」としての日記ではない。

 私は自分が読みたいような日記を自分でこしらえてみたのだけれども、やはり書いている人間がつまらないので日記もつまらないのであった。本そのものは綺麗にできた。立派に本の形をしていても中身に自然と味わいが出るものではないんだと妙なところで感心した。

 一体、いつタイトルに行き着くのだろうか? いい加減に寝なければならない。私は自分のために日記の本を作ろうと決め、せっかく作るならイベントで売ってみることにして文学フリマに申し込み、そして抽選に当たったため実際に出ることになった。どうやらそれが全てであるようだった。自分の中に表現への情熱や文学への野心、はたまた交流への欲求を見出すことはできなかった。それで後悔しているというわけではない。本を作って満足したしよかったな、というのが今の心境である。文学フリマ当日は当日で何かが起きたり起きなかったりして一日が終わるだろう。